森の巫女屋敷次期総統、赤池次期当主、戦巫女、赤池の忌み子、禍根の神子、血塗られた末裔、そして……
父親殺しの血塗れ巫女。
全てが赤池 郁に付けられた所謂二つ名……仇名である。
ローブを身に付けフードを目深に被り、素性を隠したミヤコを供回りとして引き連れて、郁は部隊長や名だたる術者が集まるという会合へ顔を出した。
国とは何ら関係のない非公式のその場へ、赤池のものが顔を出すというのが珍しいのもあり、会場となる屋敷には多くの者が集まっていた。
しかし、郁の見知った顔は一人としていない。
「あれが……」
「森の巫女屋敷の」
「赤池の」
「次期総統」「次期当主」「戦巫女」「禍根の子」「赤池の忌み子」「禍根の神子」「血塗られた末裔」「父親殺しの血塗れ巫女」
罵詈雑言とも言える囁きとざわめき。
その一つ一つを聞き入れながら、郁は目を細める。
「厄(わざわい)の、種」
誰かがひそりと、咎めるように囁いたのを聞き及んだミヤコが、背中に背負っていた大きな武器を素早い動作で構え、金の目に怒りを宿して声の主へと銃口を向けた。
「かか様を愚弄するのは貴様か!このボロニア=ルテアの餌食になりたくなければ、前言を撤回しろ!!」
激しい怒りの声は咆哮のように部屋の隅々まで響き渡り、それは更なるざわめきを生んだ。
「かか様、だと?」
「あの少女がか」
「いやまさか」
「だとすればいつ何時産んだ子だと」
「いやまて。あの赤池の息女だ」
「成る程、見たままの年ではないと?」
「現当主とて、見目は愛らしい少女だという」
「ならばこの忌み子も見目だけが」
「如何なる術やら」
「嗚呼、恐ろしい」
ざわめきはまるで喚く動物のようで。
ミヤコは眉を顰めてローブの中に隠れた口許を歪ませた。
「ミヤコ、落ち着いて。ここで武器を構えちゃ、ダメ」
「……はい、かか様」
極めて冷静な郁の声が、ミヤコを諌める。
郁のその一言でミヤコはフードの中の耳をぺたりと倒し、短い返事ののちにその武器の構えを解き、再び背中へと背負い込んだ。
それをしかと確認してから、微笑みすら浮かべた郁が会場となる大広間へとその足を一歩踏み入れる。
まるで何かを確認するかのように辺りを見回しながら。
「ミヤコはそこに居ておいてね。……もし、万が一があった場合はよろしく」
「……はい」
振り向かず、背後のミヤコに語りかけながら、郁がゆっくりと大広間を歩いていく。
どよめく声と様々な囁きさえ意に介さず、確かな足取りは目的の場へとゆっくりしかし確実に進んだ。
黒い外套を纏い、顔を仮面で隠した人物。
名のある術師だという彼の前で郁は立ち止まる。
仲間うちと雑談をしていたその人物がはたと会話を止め、郁を見上げる。
「…………何か」
訝しげな声で問う彼を見下ろし、郁が片足を半歩引いた。
ミヤコはその姿をただじっとローブの奥から見つめる。
彼らは知っているのだろうか。あれは、自らの母が戦闘を始める所作だということに。そう胸中で呟きながら。
にこりと笑顔を満面に浮かべ、小首を傾げた郁がそのまま自らの腰あたりに手を添える。
何も持っていない丸腰の彼女だが、その構えは刀を抜刀する所作そのもので。
「……御免」
少女らしい鈴を転がした声が響いたと思ったその刹那。
彼女の手には刀が握られており、瞬く間の抜刀術で目の前の男性を斬り伏せていた。
「!!!!!!!?」
大広間中にどよめきと息を呑む声が響いた。
声をあげる間もなく斬り捨てられた男は、ぐらりとその身体を傾け、ごとりと床に伏せる。
じわり。
大広間の畳と床へ滲んで染みていく赤い血がやけに鮮やかで。
郁はその目を細めてから、携えていた刀をフッと消した。
「ひ、人殺し……!!」
誰かが郁を指差し、叫ぶ。
それが合図とばかりに堰を切ったように、大広間の面々が口々に叫んだ。
「人殺し!!」
「禍根の子……!!」
「戦場でもないこの場で何ゆえ!!」
「忌み子!!」
「忌み子を捕えよ!!!!」
最後の一声を受けた面々がぐるりと郁とミヤコを取り囲む。
今にも噛みつかんとする大人達を前に、郁は笑顔を浮かべたまま小首を傾げた。
「私が人殺し?皆さん何か勘違いをされているのでは?」
「今目の前で人を斬っておいて!!」
「我らの目が節穴だと申すか!!」
「……あれを見て、人殺しだというのなら、あなた達の目は節穴なんでしょうねぇ。ねぇ?ミヤコ?」
「……くだらない。口だけは偉そうだが、その実力たるや、修行中の私にさえ劣る」
「だ、そうで。よくよく見てみたらいかがですか?私が「何を」斬ったのか。
そもそも、私達はこの非公式の場でアレが紛れ込んでいるとの話を聞いてわざわざ出向いてやったのでございますよ。非公式の場の非公式の人間などいっくら死んでも構わないのですけれども、まぁ、戦果思わしくないイズレーンのことを思ったら無駄な血は流したくないので。
それでは失礼」
囲む人垣を無理やりどけながら郁が大広間を出る。
それに続き、ローブ姿のミヤコも皆と大広間に伏す死体を一瞥してから、郁に続いた。
「これは……!!」
「人ではない!?これは……妖!?」
「まさか、そんな、なぜ……」
「何時の間に、すり替わったというのだ!?」
大広間を出た郁の背後から驚愕の声があがる。
それ見たことか。
郁はくっと喉を鳴らして一度笑ってから、その笑顔のまま大広間を振り返る。
「あ、そうそう。私のことを次期当主だとか、赤池のことを呪われた血族だとか好き勝手言ってくれてやがりますけれども。
此の度、赤池家は退魔の一族としての任を降りました。
もう、退魔術を使えるタダの赤池さんなので、以降何かあった際に無駄に赤池に責任やら面倒くさい後始末を押し付けるのをお辞めになって下さいましね。
自分の尻は自分でお拭いになって。それでは、御武運を」
笑顔のまま一礼をし、郁がミヤコを連れて屋敷を出ていく。
残された大人たちは、嵐のように舞い込み、嵐のように過ぎ去っていた二人をただ呆然と見送るだけなのだった。
「っあーーーーーーめんどくせええぇようやっと終わったよちくしょうめ」
「お疲れ様、かか様」
「ミヤコもおつかれちゃーん!いや、張り倒してやろかと思ったけど、我慢してよかったわ。何かサマになってたっしょ。ガンバッタヨ」
「おーい、郁ーーーミヤコーーー」
口々に愚痴を言い合う二人の耳へ、聞き慣れた声が響く。
坂の上から手を振る人物が一人。
「あ、サクヤだ。おーーーい!待たせてごっめーん!」
「良いってことよ!疲れたろーーーあんみつでも食いにいこーーー」
「やった!あんみつだって。ミヤコもおいで!」
「うんっ!とと様ーーー私、抹茶アイスつけてーーー」
「私は特大サイズのやつーーー!勿論サクヤの奢りで!」
「ま、マジか。いや奢るつもりしてたけどマジか。郁、太っても知らないよー?」
「太らないもーん!」
先ほどまでと打って変わり、年相応の笑顔を浮かべた二人が、坂の上を目指して駆け上がっていく。
時刻は昼の3時を少し回った頃。丁度おやつ時だ。
二人は目を見合わせ、くすくすと笑い合った。
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