遥か昔
一柱の神あり
その神、近づくべからず
その身全て凍らされたくなければ
氷雨が赤池付きの神となる前のお話。
神は、神の信じる道を往くだけなのですが、それは人にとって良いものばかりではない。
そして人は人の信じる路を往き、時に神と対峙する。
そんなお話です。
~作業時BGM~
薄桜鬼 黎明録 OP 『黎鳴-reimei-』
[0回]
畏れられ、敬われ、背けられ。
禍根を招くと囁かれ、追いやられ。
人の子というのは脆く儚く、そして愚かか。
幾重にも封印を施された狭く暗い部屋の中、光など差さぬその中心で氷雨は淡く淡く微笑んでいた。
始まりは、一つの「祝福」からだった。
神である氷雨は、人間と動く感情が異なる。
人がおよそ考えられぬような道理で怒り、悲しみ、時には喜ぶ。
そんな、イズレーンの青き地に根付く八百万の神の伝説の一柱である氷雨は、自身が賜った「祝福」のせいで、暗く狭い祠の中に閉じ込められることとなってしまった。
「全て自ら招いた種とはいえ、まっこと人の子の考えることはようわからぬ」
青き衣をふわりと動かし、ぺたりと闇色の壁へと触れる。
氷雨の指先が触れた其処には瞬時に文様が浮かび上がり、じゅうと嫌な音を立てて指先を赤く蝕んだ。
「神を閉じ込め、呪で覆い……これではどちらが呪か最早わからぬな」
赤く焼けた指先を見つめ、ころころと笑う神。
その表情は至極楽しげで、狭き世界へ閉じ込められているというのに余裕すら感じられる。
「折角賜ってやったというに、人の子は恩を仇で返すが己の趣味か」
時は更に遡る。
氷雨がこの祠へ閉じ込められることとなった時よりも更に遥か昔。
氷雪神としてその地に雨と雪をもたらし、命あるものへ恵みをもたらし、時にはその冷たき氷でもって、命を奪っていた氷雨の神の元で、人の子同士の戦が始まった。
血を血で洗うような、凄惨な戦であった。
神の宿る地は、それだけで豊かな証とばかりに、当時の世では奪い合い殺し合っては血が流れ、命が散る事態が度々あった。
「人の子は、ただでさえ儚きその命を無駄に無碍に、更に儚く散らすか。人の道理ならば悲しいことよの」
血の色に染まった大地を踏みしめ、赤き氷を張りながら。
氷雨の神が静かに呟く。
「我のこの身が欲しいのならば、直接我が下へ来ればよいものを。我が休まるその地ごと、奪い去るとは何と野蛮か」
神が神であるが為、起こる事。
その腰を下ろし、足を休め、そうして人の子が一宿一飯の恩を返すが如く、その土地と住まう人獣に恵みをもたらす。
神が、神であるが為の行為。
それさえも、人の子の命を悪戯に奪うだけなのだとしたら。
「もうそろそろこの地は潮時かの。何処へ行っても、最期はこうなる……」
悲しげに告げ、伏せた瞳が捉えたのは、一振りの刀であった。
誰かが戦で使っていたものであろうか。
大太刀と呼ばれる長き刀身はすらりと冴え渡り、刀紋はまるで透き通った氷のように涼やかでいて、力強い。
「地に宿り、そしてそれが戦を呼ぶのであれば、いっそ戦場(いくさば)に身を宿すのも良いのやも、しれぬな」
身を屈め、刀身を撫でながら神が囁く。
自身の名の如く、冴え渡ったその刀の身は、悪くないと。
神がそう感じた刹那、全ての物事は、かちりと動いた。
あとはそう、よくある昔話の其れのように。
神の宿った刀は戦で幾人もの血を吸い、呪いを吸い、氷雨は其の暗き呪の力を全てその身に取り込んだ。
氷のように冷たく鋭い切れ味も。
斬られたことすら気づかない程の殺意も。
それを繰る繰り手さえも。
氷雨が望み、そうあれかしと囁けば、すべてはそう成った。
そうして神が「祝福」を施し続けた結果、それは人の子の間では「呪い」と相成った。
持ち手を不幸にし、命を奪い続ける呪いの刀、だと。
あとはそう、よくある昔話の結末のように。
力あるもの達がその力の全てを使い、氷雨を宿る刀ごとこの祠へ縫い付けた。
もう力を振るえぬように。
もう、誰も呪えぬように。
と。
「しかし、供物を捧げ祈りを捧げ、そうして我の気を紛らわしてくれたのはほんのひと時だけであったな。
今やこの光の射さぬ部屋の中、何をするわけでもなく唯一柱(ひとり)で居るということの飽く様よ」
立ち上がり、氷雨が嘆息を交えながらそう呟く。
暇つぶしになるようなものなどなにもない、ただ闇が広がるだけの空間。
そこでたゆたうように浅き眠りを貪るのにも些か飽きた。
そう言いたげな神がにんまりと口許に笑みを浮かべる。
「暫し大人しくしていてやったが、それではつまらぬ。我をこのようなつまらぬ場所へ追いやった人の子に、仕置きをしてやらねば、の」
掲げた両手をそれぞれ薙ぐように払う。
その小さな動作を氷雨が行った刹那、 辺り一帯は闇色から真白へと変化した。
全てを凍らせる、氷雪神としての力。
ぴしぴしとそこかしこで小さな亀裂音が走っていく。
「……さて、目覚めの刻じゃ」
氷雨が高らかに宣言をしたその瞬間、バリンという大きな音と共に、祠は氷が砕け散るかの如く、弾け飛んでいた。
にんまり笑顔の神がそのまま一歩前へと地を踏みしめる。
「ほう?もう誰もおらなんだと思うておったが……何じゃ、我を阻むつもりかえ?」
氷雨の双眸が、目の前の人物を捉えては笑う。
「お初にお目にかかる、氷雨の神。貴柱(あなた)のその荒魂、鎮めたく馳せ参じ致した」
腰を折り、神に頭を下げるその女性を見下ろし、氷雨は笑った。ころころと笑った。
「ふ、ふふふふ。我を鎮めるとな?面白い、やれるものならやってみよ!その身悉く凍らされ壊されても良いというのならばな!」
ぶわりと一気に神気を解放し、凍える冷気を孕みながら氷雨が歓喜の声をあげる。
対して、目の前の女性は至極冷静だ。
怯えた様子も一切感じられない。
「面白い。この神気を当てられて尚そのように微笑んでいられるとは。ぬし、名は何と言う?」
流れるような漆黒の髪。
冴え渡るような青き瞳。
巫女装束へ身を包み、千早をふわりと凍てつく風に揺らしながら淡く笑みを浮かべるその女性は、再び腰を折って礼をしながら、鈴を転がした声を紡いだ。
「紫苑。赤池 紫苑と申す。……異世界より迷い込みし一介の巫女に御座いますが、何卒よろしくお願い致しまする」
「紫苑。花の名を頂く者よ。よかろう、この氷雨の神が直々に相手をしてやろう……!」
手に冷気を纏い、高らかに笑いながら氷雨が紫苑へ対峙する。
にこり、と笑った紫苑がもう一度礼をし、術を言祝ぐとその手に大弓を携え矢の切っ先を氷雨へと向けた。
「氷雨の神様。赤池 紫苑……いざ、参りますっ!」
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