しんと冷えるマッカの夜。
窓の外に広がる満天の星を見上げ、僕はそっと扉に手をかけた。
「……こんな寒空の下、何処へ?」
黙って出ていって、黙って戻ってくるつもりだったのに、それを許さない者が一人。
部屋の中央のストーブへと薪をくべ、金に似た瞳で僕をじっと見つめてくる子。
この目が、郁ちゃんによく似ていて、僕は苦手だ。
人の身でありながら、何もかも見透かしているような、鋭い目。
肩を竦めてから、僕はその視線から逃れるように曖昧に笑って口を開いた。
「散歩。ヒトじゃない僕には睡眠も、暖も必要ないからねぇー」
「わざわざ夜中に出て行く意味は?普段はそんなことしないでしょう?ヒロエが心配するから、と」
本当に鋭い。
さすが、郁ちゃんとサクヤ君の子供って感じ。良いとこ取りしてるよね。
まだ十とそこらしか生きてないっていうのに。
「みーんなさ、寝ちゃって暇な時ってない?今がそれなんだよねぇー。いつもだって、そこのオアシスとかには夜中にちょくちょく行ったりしてたんだよぉー?」
そう、言い訳してみたところで。
責めるような金の目は僕を捉えて離さない。
にこりと貼り付けた笑顔は崩さないよう努力して、僕はそっと彼女を見つめ返した。
「……蛇はずるくて賢い。狡猾だって昔かか様が言ってた。ジレ……あなたもそうなんでしょう?本当はこんな夜中に何をしにいくつもりだった?」
どう誤魔化しても、この子はその度に否って言って来るんだろうね。
観念したように肩を竦めて嘆息を一つ。
そして、僕は化けの皮でもあるゆるい口調を解いて、彼女へ語りかけた。
「君達の障害となるものを排除しに、だよ。郁ちゃんの心に不穏の種を蒔いていくものなんて、イラナイでしょ?」
「……かか様がそれを望むと思う?」
「思わないだろうね。あの子は人一倍優しいから。優しすぎてヒトとしては欠陥品だと、思われても仕方ないくらいに、優しい。だからこそ、だよ。優しいあの子が心を痛める姿を、君も見たくないだろ?」
「………………」
否定も肯定もせず見つめる、若き子へこの一言は厳しいものかもしれないけれど、妖怪が妖怪たる所以を知らしめるいい機会でもある。
僕は止まらず、更に続けた。
「あの子を傷つける要因をね、排除したいって思うのは素直な感情だよ。でも、ヒトには「倫理」ってものがあるんだろう?それが邪魔をして上手く立ち回れない。
戦争っていう大義名分があれば、他国におけるその要因の排除は出来るだろう。じゃあ、同国への其れは?
だから、僕がやるんだよ。妖怪は畏怖の象徴。荒ぶれる力の権化。僕一人が多少人間においたをしたところで、何ら問題はなかろうよ。皆の妖怪への恐怖が高まって尚いい。
妖怪や神はね、そういうものなんだよ。いくらヒトの姿をしていたとしても。ヒトと生活を供にしたとしても。わかりあえないモノを中に抱えていきている。
ぶっちゃけね、僕はこの両の手で守るもの以外は、はっきり言ってどうでもいい。
だからこそ、何のためらいもなく刹那の躊躇もなく、殺せる。
それこそ、邪魔をするというのなら君でさえも。
あ、邪魔をしない限りは君も両の手に納まる庇護の対象ではあるのだけれどもね」
「……要するに、かか様の心を惑わせる「人間」を、人知れず殺してきてるのがあなただと?」
脅し文句をたっぷりと詰め込んだのに、まるで効いてやしない。
こういうところもあの二人譲りだよ。
本当に調子が狂っちゃう。
「やだなぁ。ぽんぽんと殺してるわけじゃないよ?ほんの少しだけさ」
にんまりとした笑顔を湛えて見せると、彼女はほんの少しその目を細めて反応を見せてくれた。
まさか、脅しだけだと思ったんだろうか
実行してるわけはない、って?
……甘いなぁ。
「それにさ、この世界は箱庭の中、三年で巻き戻る不思議な空間だ。殺してしまったところで、三年経てば何食わない顔でまた生き返る」
ま、生き返らない場合もあるんだけれどね。
「戦争という大義名分でヒトがヒトを殺すのと何ら変わりないよ、僕がやってることはね。郁ちゃんは優しすぎてそれすら出来ない。だから、僕がね」
それだけではないけれどもね。
でも、この子には内緒。
「それでも僕を止めるのだというのなら、そうしたらいいよ。ただ黙ってやられる僕じゃあないし、君では太刀打ちできるか怪しいけれどもね」
そうにんまり笑ってみせると、彼女は漸く観念したようにその目を伏せ、小さく息を吐いた。
にんまり笑顔を向けたまま小首を傾げると、重い口を開いてくる。
「……なるべくなら慈悲を。それも無理なら、一思いに。苦しませるのは、好きじゃあない」
この子も、12,3にして戦争に身を任せ、ヒトを殺めてきてるのだから物分りはいい。
殺すこと自体への非はないようで僕も安心したよ。
「それは勿論。趣味じゃあないからね」
だから、蛇らしく。
とびきりの嘘を交えて僕は頷いた。
手をかけたままだった扉をそっと開き、星が輝く外へ身を滑り込ませながら最後に彼女を見やる。
苦虫を噛み潰したような、何とも言えない表情で僕を見送るその姿が、堪らなく可愛らしい。
本当は止めたいんだよね。わかってる。
あまりにも可哀相だから、この夜の記憶はあとで帰ってきた時に食べてあげよう。
彼女が健やかに育つ為には、それがいい。
「一思いに、ねぇ?郁ちゃんを困らせる相手にそれは生ぬるいんじゃあないかな?
蛇の毒でじわじわと内側から蝕むように、絶望の果てに落としてやらなきゃあ割に合わないよ」
星空の道へ足を踏み出し、呟いた言葉は闇夜に紛れるように浮かんで消えた僕の想い。
随分と、感情が人間の其れに近くなったなぁなんて思いながら。
軽やかな足取りで、僕はそっと仇敵の下へ向かった。
悪夢を、終わらせてあげる為に、ね。
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